20230104 - 悪役に泣かないでほしい

気づいたら現実逃避YouTubeをキメている日だった。

作業が行き詰まったことを感じるのが本当に嫌なので、詰まった雰囲気がしたら反射的にYouTubeを見てしまう。でも観たくて観てるわけではないからすぐ飽きて再生途中の動画が履歴にごろごろ転がることになる。やめたい。やめてほしい。

 

RTA in JAPAN2022のCupheadのアーカイブを見た。

多分以前別の方のも観たことがあるけど、忘れてたり追加ステージがあったりで面白かった。プレイはもちろんのこと、敵キャラの表情や挙動が面白くて画面から目が離せなかった。

 

悪役がイキイキしているところが好きだ。最終回の死闘とかじゃなくて、主人公たちに対して「あーハイハイ。いつも通り軽くひねり潰してあげましょうかね…」くらいの舐めてるかんじのイキイキが好き。自信や余裕があるキャラが好きなのかもしれない。

だから敵キャラがプレイヤーに倒されてしょんぼりしていたり、泣いちゃったりしているところを見ると悲しくなる。消滅させられたり死んじゃったりしてももちろん悲しくなる。Cupheadは敵キャラに攻撃したり勝利すると、泣いちゃったりしょんぼりしたり、ムキーーって感じで悔しがったりするので悲しくなりながら観た。

以前Cupheadをちょっとだけやってみたことがあるのだが、難易度の高さと敵キャラの悲しそうな姿を見てやめてしまった。やりかけているゲームでも、敵キャラを当然のように攻撃して倒すことがなんとなく恐ろしく思えてすぐ離れてしまうことがある。

 

悪役のドラマが設定されていない(あるいは観客に知らされない)方が、倒される姿を見る時に悲しくなる。主人公たちが悪役を倒すことに何の疑いも持っていない時も悲しくなる。勝手に敵キャラ自身の物語を補完しようとしている自分がいる。

逆にアニメやストーリーのしっかりしたゲームで 敵の目的や過去を説明されたり、主人公がめちゃくちゃ葛藤しながら敵を倒すような場合はあまり悲しくない。理屈や事情を知らないままに排斥されることに怯えているのかもしれない。それか単に、力で戦う要素のある作品にあまり触れてこなかったからかもしれない。

 

でも書きながら思ったけど、マリオのクリボーとかドラクエのスライムが倒されることには何も思わない。常識レベルで見たり知ったりしているから、慣れて麻痺してしまっているのだろうか。「しまっている」って、それってダメなことなのか。悪役に感情移入することを正しいことだと思っているのか。どうなの?

 

絶対に正しいとは思ってないけど、それに全く思い至らないよりは良いことだと思う。自分の信じてた世界を突然現れた奴に普通にぶっ壊されたら怖い。

 

ほう。でも悪役も他者に対して同じことをしていたかもしれないけどそれは?

 

それはよくないことだけど、因果応報だって当然みたいに成敗されるシーンは見たくはない。というかそれは敵が悪い事情が説明されているので、悲しさレベルは低くなっている。

 

ほう。ということは自分(=観客)の目に入らなければ良い?その事実を知らなければ良い?

 

そうかも。

 

勝手だね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。勝手だよ。自分の目に入らなければ興味が無いというのは勝手。

 

良くないの出た。人格分裂の過程と分裂した奴が攻撃に回る現場を捉えたのでもう良しとする。自分の内面のことになればなるほど、論理的思考ができなくなって感情の声が大きくなってくる。それはダメ。今日は終わり。